人生ゲームに乗って、受業のラストまで帆を一杯はり幻想の中を走る☆

私の人生はホログラフ的な物だとしたら、幻想の中で今暮らしているとしたら、「辛い事また孤独感や疑問に対する真実の追究」やはり細い崖の道を直感に頼り意識で進むしかない。
あと残りのゲームの終点が見えて来るまで期待をかけて下さる方のためにもまだ走り続けよう。
自分を投げ出したい。
そうも行かない。
愛を持って善意をもって接したいからだ、また儀と尊厳を抱き自分自身を愛し信じて行こう。それは内に居ます方「神」を見出す事だ。
魂はすぐにも宇宙の彼方まで、新しい旅立ちが目の前に浮かんで意識はシップに乗っている。これもラストの試練だ。
これが幻想のゲームだとしたら、私達は何も失っていないのである。
また凄いお金持ちも何一つ持っていないのである。
ここはまだ三次元魂の学校だからです。
父の姉の夫は大実業家だったので、浜松や東京に沢山の映画館を作った。
私の母の父祖父が当時名古屋と磐田で牧場をやっていた。
母は自転車で朝早くから牛乳配達に出かけた。
まだ私は生まれてなく、母は忙しく多産の兄弟達の面倒を見たり、食事のしたくや、毎日山のような忙しさである。
母の父、祖父は馬苦労をやっていていつも遠くまで出かけた。
ひげが突き上がり、眉も濃く色白でいつも注文の靴、ワイシャツ、乗馬ズボンに女性の靴下止めで柄のステキな靴下を止めていた。
大きなパイプは伊達に見えた。
祖父は渥美半島の網本の出で模範青年で、当時の新聞に載ったそうです。
祖父は大きな夢を抱き、牛の研究もしていた。
いつも朝早くから牛の世話をして、若い使用人に教えていた。
祖母は豊川の織屋の娘でたいへん美しく、働き者で祖父はひと目で好きになり、すぐプロポーズしたそうです。
祖父は中々の実業家で、当時牛を二百頭も飼っていたそうである。
金原明善先生とも親しくしていたようである。
女性に好かれ、もてたようである。
祖母は出産と仕事に追われ、朝、暗い内に川沿いに草刈に出かけた。
私の母は忙しすぎて、辛くて時々泣いたそうである。
母は長女なので弟や妹の世話が忙しく、また家の前の長屋の人々の殆どの皆が手伝いに来ていたからである。
山のような仕事が毎日である。
そんな母をいつも配達する校長先生の奥様が母の勤勉さと、何処となく両親の厳しい躾の中に品があるので、関心を持ち色白なふっくらした控えめな真面目さと、気品に奥様はこの子だと実感して母の家柄が、当時中々の出世人物の父を持ち名声もあったからである。
祖父の家は古く過去歴々と記したかこちょうがあった。
これからが、驚きの母の人生の開幕である。
つづく。。。。。。
〜。。ビーナス教子。。☆〜